万葉集(阪急線以北)

名次山

『万葉集』は、今から1300年ほど前の日本最古の和歌集で、4516首の歌が、20の巻に分けて編集されている。

天皇から有名歌人や庶民にいたるまで、男女いろんな人々の歌が収められており、大伴家持が編纂したとも言われている。万葉歌には日本全国の1200か所もの地名が詠み込まれている。

古代の国家は大和に朝廷があり、奈良県を中心として、近畿地方で詠われた歌は数多いが、兵庫県だけでも約140首の歌がある。

また、万葉人は都から山陽道をたどり、また難波の港から海路を、大宰府・西海道に行き来した。この西宮市も貴重な交通路にあたり、故地として集中9首の歌が詠まれている。

武庫の入江から続く一帯の浜辺は、鶴が飛来し、白砂青松の美しい風景の広がる地域であったことを万葉歌から学ぶことができる。

・我妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ(3・279) 高市黒人 
訳:わが妻に猪名野は見せた。名次山や角の松原はいつになったら、見せてやれるだろうか。


解説

阪急苦楽園駅の東方のニテコ池のほとりに、名次(ナツギ)神社があるが、古代は清音で「ナスキ」と読んだ。このあたりから広田神社にかけての丘陵が「名次山」と称された。

「角の松原」の入江は、この丘陵の下まで湾入していたらしく、この高台は、海岸線までも見渡せる景勝の地であったと思われる。高市黒人は、『万葉集』に旅の歌ばかり18首残しているが、この歌にも複数の地名が出てくるように、地名は29も詠んでいる。

見知らぬ土地への憧れや、旅の寂寥感などを詠いあげる、柿本人麻呂と同時代の歌人である。この歌は、2首のうちの1つで、もう一つの「いざ子ども大和へ早く 白菅の 真野の榛原 手折りて行かむ(3・280)」と詠んだ「真野の榛原」は、神戸市長田区のあたりである。

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