プロフィール 1873年2月26日 – 1937年2月1日
日本の俳人・随筆家碧梧桐と虚子は子規門下の双璧と謳われたが、守旧派として伝統的な五七五調を擁護する虚子と激しく対立していた。
新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と行動を共にした。
しかし、大正4年(1915年)には井泉水と意見を異にし、層雲を去っている。
碧梧桐はその年の3月、俳誌『海紅』を主宰。更にこれも中塚一碧楼に譲る。
学歴
第二高等学校中退
西宮とのかかわり
麻野恵三氏との交流があり、海清寺の南天棒と会っている。