プロフィール 1931年1月28日-
星新一・筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれる日本SF界を代表するSF作家。
1970年の大阪万博でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。
学歴
京都大学文学部
文学賞
第2回星雲賞(日本長編部門)
第4回星雲賞(日本短編部門)
第27回日本推理作家協会賞
第5回星雲賞(日本長編部門)
第7回星雲賞(日本短編部門)
第9回星雲賞(日本短編部門)
第14回星雲賞(日本長編部門)
第6回日本SF大賞
主要作品
『継ぐのは誰か?』。
『結晶星団』
『日本沈没』
『ヴォミーサ』
『ゴルディアスの結び目』
『さよならジュピター』
『首都消失』
西宮とのかかわり
「昭和八年から九年まで、さらに昭和十一年から十九年まで若松町に、十九年から三十一年まで今津に、三十二年に結婚してから三十五年まで甲東園に住んでいたから、西宮市に住んでいた期間は、実に二十五年以上におよぶ。
……とりわけ私には、幼時から少年時代をすごした西宮の夙川界隈がなつかしい。
……阪急夙川駅を中心にした一帯は、さいわい焼けのこってあまりかわっていない。
駅前から昔のパインクレストやカトリック教会、雲井町、殿山町へかけて、また夙川土堤づたいに大井出町へ、若松町へかけて、また寿町から安井町の方角へおりて行く道筋は家並みのたたずまいから、角のポスト、雑貨屋まで、ほとんど私の小学校時代のままで、あの界隈を訪れると、一歩毎に、二十五年前の世界に足をふみいれて行くような、実に奇妙な気持ちにおそわれる。」と「グラフにしのみや68」に寄稿している。
小松左京の大震災’95 この私たちの体験を風化させないために」毎日新聞社(1996)の中では下記のように書いている。
昭和10年から36年までの26年間、私は両親家族と共に西宮の夙川、後には今津に住んでいた。
とりわけ戦前の西宮・芦屋は、北に六甲の緑・甲山の紫を配し、夙川の家から香枦園の白砂青松に縁どられた海水浴場までは、小学生の足でも三、四十分だった。