下村海南 (和歌山県出身)

プロフィール  1875年5月11日 – 1957年12月9日

東大政治学科卒業後、逓信省入省。貯金局長を経て台湾総督府民政長官となる。
大正10年大阪朝日新聞社に入社,のち副社長。昭和12年貴族院議員。18年日本放送協会会長。20年鈴木貫太郎内閣の国務相兼情報局総裁となり,終戦処理にあたった。

財政関係の本や終戦関係の本を執筆したほか、佐々木信綱門下の歌人として歌集も発表している。

学歴

東京帝国大学政治学科

主要作品

『新聞に入りて』
『人口問題講話』
『終戦秘史』
『我等の暮し方考え方』

出典

「下村海南」『kotobank』URL:http://kotobank.jp/

西宮とのかかわり

大正十年九月朝日新聞入社と同時に、苦楽園五番町に千五百坪におよぶ広大な邸宅を構えた。
そして雅号と故郷紀州の見えるところから「海南荘」と命名した。

(中略)紀州をはじめ摂河泉等七つの国が見わたせるこの家で、彼は新聞近代化の想を練り、多彩な文化生活を展開した。特に彼自身が歌人であったため、その道の人々との交流が多かった。
(「西宮文学風土記(上)」 南野武衛著より)

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