椙元紋太 (神戸市出身)

プロフィール  1890年12月6日-1970年4月11日

大正-昭和時代の川柳作家。神戸の菓子製造業甘源堂主人。
大正5年川柳誌「柳太刀」を創刊,編集責任者となる。昭和4年「ふあうすと」を創刊。戦前戦後を通じて川柳指導者のひとりとして活躍した。

紋太の死(昭和四十五年)によって、川柳六大家の全てがなくなり、川柳における一つの時代が終わりを告げたのである。

紋太の主宰誌は、ゲーテから着想を得た「ふあうすと」である。
その創刊号(昭和四年)の巻頭の言葉に、「ふあうすとは主義を標榜して起つたものではない。

自らの姿をありのまゝ表現することに努力し、川柳を真つ向にかゝげて精進することをたすけるために、ふあうすとは存在する」と宣言しているという。     

主要作品

句集
『わだち』
『茶の間』
『椙元紋太句集』

西宮とのかかわり

昭和4年「ふあうすと」を主宰、昭和26年に県文化賞を受けた流壇の大御所椙元紋太も甲子園口五丁目でその生涯を終えた。(「西宮文学風土記(下)」 南野武衛著より)P163

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