山崎宗鑑 (近江出身)

プロフィール  1465年? – 1553年10月2日

戦国時代の連歌師・俳諧作者。
 室町幕府9代将軍足利義尚に仕えたが、義尚の陣没(延徳元年、1489年)後出家し、摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後淀川河畔の山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。現在大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」「宗鑑旧居跡」が残されている。

大永3年(1523年)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528年)に讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びそこで生涯を終えた。

荒木田守武などと交流し俳諧連歌を興隆した。
宗鑑の連歌作品として伝わるものはわずかであるが、俳諧連歌のもっとも早い時期に編纂された俳諧撰集「犬筑波集」があり、自由奔放で滑稽味のあるその句風は、江戸時代初期の談林俳諧に影響を与えた。
俳諧の祖と称される。

出典

「山崎宗鑑」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2010年12月23日 (木) 11:18  UTC、URL:http://ja.wikipedia.org/

西宮とのかかわり

越木岩神社を詠んだ句がある「照る日かな蒸ほど暑き甑岩」

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