須田剋太 (埼玉県出身)

プロフィール  1906年5月1日 – 1990年7月14日

洋画家。当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。
力強い奔放なタッチが特徴。

司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を担当、また取材旅行にも同行した。

学歴

埼玉県立熊谷中学校

文学賞

西宮市民文化賞(1962年)
講談社出版文化賞

出典

「須田剋太」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2010年10月5日 (火) 17:08、URL:http://ja.wikipedia.org/

西宮とのかかわり

市内御茶家所町在住していた。
西宮市発行のグラフ西宮へ何度も絵やエッセーを寄稿したり、1966年には、当時の市長辰馬龍雄氏を交えた「西宮をこんな町にしたい」という座談会にも参加している。

1968年には、「自然・蓬莱峡」と題する絵と同じくグラフ西宮に文を寄稿している。
1962年(昭和37年) 西宮市民文化賞を受賞  

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