小松左京/歌う女

夙川界隈、酒蔵周辺、福応神社

あらすじ:

作者自身を彷彿とさせる主人公で語り手の「茂木」は、戦前戦中を暮らした関西のN市(西宮市)のようなイメージの土地に住むのが夢であった。けれど、戦後、N市に戻るのはいやで、よく似た環境にある隣の市の山裾に所帯をもった。
ある日、散歩していて、山を越えてすぐのところに、幼少期を過ごしたN市の町があったことを偶然知り、茂木は懐かしい町並みを散策する。その町のフレンチレストランで出会った神秘的な女性歌手に、なぜか心惹かれた茂木は、頻繁にその店に通うようになる。彼女の後見人だという紳士とも親しくなり、話をきくうち、茂木は彼女の秘めた過去に興味をひかれていく。やがて、悲劇が彼女を襲うのだが、茂木にはどうすることもできないのだった。

作品より引用

しかし、結婚して最初に世帯をかまえたのは、N市のすぐ隣、川をへだてて、大きな橋一つわたれば、もうN市の市域にはいるという場所にある、たった一間の文化アパートだった。それから、惨憺たる結婚当初の数年間、ひどい時は一年間に六度も居所をかえるという有様だったが、なぜか知らないがいつも、住居はN市から二時間とはなれた事がなかった。私自身、そんな事は全然意識しなかったにもかかわらず、心の隅のどこかで、北に緑ゆたかな山脈を背負い、南は陽光に光る波おだやかな内海に面した、美しく、あたたかく、しっとりとおちついたN市をいつもなつかしみ、自分の育った都市というよりは、まるで「母国」のようにその風景を慕い、あまり遠くへはなれたくない、という強い執着が働いていたようだった。
(「歌う女」p.136) 

小学校の時、一日と八日におまいりした神社は、それでも新国道の北にやっとのこっていて、しかし、境内は三分の二にせばめられ、昔はずいぶん亭々とおいしげっていた社域の森も、排気ガスのせいか見るも無惨にまばらになってしまっていた。? 私たち一家が、戦時中うつりすみ、戦後もしばらく半焼けを修復して住んでいた家のあったあたりは、もちろんこの巨大な国道の下になってしまい、家の近所のたたずまいなどもあとかたもない。そこからさらに南に行けば、幕末、明治以来の酒屋、回船屋の白ぬりの土蔵や煉瓦づくりの倉庫がならび、そのひんやりと小暗い倉と倉との間の道をたどる途中から、もう魚臭い磯の臭いがして、ぬければそこはかっと眼を射るような白砂の浜であり、漁船のもやう小さな港の、石をつんだ防波堤の先で釣もできた。
(「歌う女」p.150)

初出:「歌う女」
刊行本タイトル 旅する女
出版社 河出書房
発行年 1973年8月20日
四六判 単行
装丁者 丹阿弥波子

初出始年 1973年1月
初誌名 問題小説

出典:小松左京『旅する女』(角川文庫 絶版)

小松左京と西宮のかかわり>

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