賀川豊彦 (神戸市出身)

プロフィール  1903年 5月23日 – 1973年11月13日

大正・昭和期のキリスト教社会運動家。神戸市に生まれ、不遇な家庭環境と病身の苦難の中でキリスト教信仰に入り、明治44(1911)年に神戸神学校を卒業。在学中から神戸市のスラム街に住んで伝道と救済活動に当たる。

大正9(1920)年に刊行された自伝的小説『死線を越えて』は賀川のスラムでの活動を著名にした。
プリンストン大学留学(1914~17)中に労働運動にふれ、帰国後友愛会に参加。
関西地方の労働者に強い影響力を持つようになり、大正10年の川崎・三菱造船所争議を指導するなど活躍した。争議後は労働運動の指導を離れ、翌11年に杉山元治郎と共に日本農民組合を結成。

敗戦後は東久邇内閣の参与、貴族院議員となり、日本社会党結成にも関与、また世界連邦運動を推進した。
ノーベル平和賞の候補であった。

学歴

明治学院高等部神学予科

主要作品

『死線を越えて』
『空中征服』
『一粒の麦』

出典

「賀川豊彦」『kotobank』URL:http://kotobank.jp/

西宮とのかかわり

昭和二年二月、兵庫県武庫郡瓦木村(昭和十七年五月西宮市に合併)の自宅で、第一回日本農民福音学校が、彼の手によって開かれた。

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