佐藤紅緑 (青森県弘前市出身)

プロフィール  1874年7月6日 – 1949年6月3日

正岡子規門下の俳人として出発。のち創作に転じ、大衆小説を書く。
「あゝ玉杯に花うけて」「英雄行進曲」などの少年小説を雑誌「少年倶楽部」に連載し、熱狂的な愛読者を得た。

作詞家で詩人のサトウハチロー、作家の佐藤愛子、脚本家で劇作家の大垣肇の父(3人とも母は異なる)。

学歴

青森県尋常中学校(現弘前高校)

主要作品

『あゝ玉杯に花うけて 』
『少年連盟』

西宮とのかかわり

当時鳴尾村、旧枝川堤防の東側、甲子園署の北にある西畑公園のあたりにあった文化住宅街に住んだ。
大阪から甲子園に移り住んだのは、大正十四年、当時、甲陽園にできた東亜キネマ撮影所の所長に就任したためというが、その隣家に実兄佐藤密蔵が住んでいたためでもあろう。

昭和八年八月、甲子園二番町八番四四号に新居の豪邸を建て移り住む。
阪神甲子園線跡を北上、三番町の停留場跡を過ぎると北に吉本病院がある。そのやや北のニ、三番町の境を右手に入った四つ辻の東北の角の家がそれである。
いまは他の人の居宅で、彼は十二年ごろまでここに住んだ。
(「西宮文学風土記」 南野武衛著より)

関わりのある場所

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