清水博子/vanity

西宮北口 門戸厄神 ニコテ池

vanity 清水博子

あらすじ:

画子は早稲田大学の近くに住んでいたが、アパートが火事で焼け、仮住まいを探すことになった。アメリカ留学中の恋人に相談すると、彼の母親が暮らす関西の屋敷に身を寄せることになってしまう。それも、関西の上流家庭独特の風習らしき「行儀見習い」という立場になった。神戸の豪邸で、画子は恋人の母親との同居生活を始める。上流マダムである彼女は、下町育ちの画子を厳しく躾けようとするが、画子にとっては文化的違いの大きさが、逆に興味深いのだった。

(解説)

関西上流階級のマダムである恋人の母親のもとで、主人公の画子は「行儀みならい」をしているという非現実的な設定の小説である。マダムが教えてさとす上流婦人の理想と、東京の下町娘・画子の日常とのギャップが、シュールな笑いを引き起こす。 本場直伝である設定の関西上流社会の風儀にはたしてリアリティがあるのか? それとも作者の想像に過ぎないのか? 読者には判断する手がかりがない。ただ、いかにもそれらしく語られる小説の文章中では、架空の関西上流社会が存在するように思えてしまうのが、奇妙な読後感を残すのだ。

作品より引用

大阪側から神戸側へと太陽が移動し、六甲山がけわしくなる。山並がとぎれずつづく風景は画子の育った東京郊外でもみられたが、傾斜がまるでちがう。関東平野には入口も出口もない。西宮では山を背にすると海のけはいがある。どうすれば海と接続できるのかはわからない。電車に乗れば港へたどりつけるが海水にはふれられない。

芦屋のおかあさまたちはどうして関西弁をつかわれないのですか、と訊ね、慎一郎の関西弁は学校のおなかまの言葉です、もうひどいったら、あたぁしたち西宮のはずれですし、阪急が戦後に開発したの、芦屋なんてとんでもありません、とマダムに説明されても、芦屋市と西宮市のどちらに軍配があがるのか見当がつかなかった。

山をくだりKT園駅からN宮K口方面行きに乗る。ふたつてまえのO林駅から乗車してきたS女子学院の中高生が肘と肘を交差させ、およしになって、と身をよじっている姿もみなれた。やめんかい!などと大声をだす乗客はこの路線に存在しない。MDYJ駅でK女学院の中高生たちが乗りこんでくる。S女子学院の生徒は自分がなにものであるかと悩んだことなどない風情だが、K女学院の生徒たちはすでにわたしがわたしであるという顔をしている。もしマダムに娘がいたらぎりぎりの成績でK女学院に入学させ大学受験させるより、S女子学院から東京の系列のS女子大学へ無試験であがる進路を強制するだろう。N宮K口で大阪と神戸をつなぐ路線に乗りかえるとき、震災後の大規模再開発によって生まれた地上十八階建の公団がみえる。テナントの大型書店を画子はときどき利用する。兵庫にそぐわない高層建築の足元でたちつくす画子の横を、ぽっこりした帽子をかぶった音楽学校の生徒たちがステッキのような脚をスライドさせてとおりすぎる。

新品の自転車でまえのめりになってニテコ池を一周した。どんぐりのような制水塔のむこうになだらかな山並をのぞむ風景にはプチブルジョワジーをプチブルジョワジーたらしめてきただけの耀(あかる)さがあった。

出典:『vanity』2006年 新潮社

清水博子と西宮のかかわり>

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