谷崎潤一郎/細雪

常磐町一本松・平松町

あらすじ:

大阪船場、上流階級・蒔岡家の四姉妹の生活を描いた長編小説。三女雪子の縁談を軸に、ストーリーが展開する。「戦時に合わない」と雑誌への掲載を禁止されながらも、京都へ移り住んでから完結した谷崎の代表作。1950年、59年、83年と3度に渡り映画化された。

作品より引用

阪急の夙川の駅で下りて、山手の方へ、ガードをくゞつて真つ直ぐに五六丁も行くと、別荘街の家並が尽きて田圃道になり、向うに一とむらの松林のある丘が見えてくる。キリレンコの家は、その丘の麓に数軒のさゝやかな文化住宅が向ひ合つて並んでゐる中の、一番小さな、でも白壁の色の新しい、ちよつとお伽噺の挿絵じみた家であつた。

自分はあのお方は大阪の方に住んでいらっしゃるのだとばかり思っていたところ、西宮の一本松の傍に家があると云われたのが意外だったので、或る日、あのマンボウを通り抜けて、一本松の所まで行って見たら、成る程ほんとうにお宅があった。前が低い生垣になっている、赤瓦に白壁の文化住宅式の二階家で、ただ「奥畑」とだけ記した表札が上がっていたが、表札の木が新しかったのを見ると、極く最近に移って来られたのであろう。

バスを待つのに、彼女は国道を南から北へ横切って、浜側の停留場に立つのであった。(お春はマンボウと云う言葉を使ったが、これは現在関西の一部の人の間にしか通用しない古い方言である。意味はトンネルの短いようなものを指すので、今のガードなどと云う語がこれに当て嵌まる。もと阿蘭陀語のマンブウから出たのだそうで、左様に発音する人もあるが、京阪地方では一般に訛って、お春が云ったように云う。阪神国道の西宮市札場筋附近の北側には、省線電車と鉄道の堤防が東西に走っており、その堤防に、ガードと云うよりは小さい穴のような、人が辛うじて立って歩けるくらいな隧道が一本穿ってあって、それがちょうどそのバスの停留所の所へ出るようになっている)


出典:『谷崎潤一郎全集 第十五巻』 1982年7月 中央公論社
初出:「中央公論」1943年1・3月号に掲載後、時局に適しないとの理由で中止。1944年7月に上巻を自費出版。中巻昭和1947年2月中央公論社刊行、下巻は1947年3月より1948年10月まで「婦人公論」に掲載。

谷崎潤一郎と西宮のかかわり>

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