野坂昭如 (神奈川県鎌倉市出身)

プロフィール  1930年10月10日 –

実父は野坂相如氏(元新潟県副知事)。旧制新潟高校を経て早大文学部仏文科に入学、7年間在籍。この間、アルバイトでさまざまな職業を遍歴し、CMソング、コント、テレビ台本などを書く。

その後、民放TV分野から活字分野へ転じる。
1963年、童謡「おもちゃのチャチャチャ」の作詞家(補作・吉岡忍)としてレコード大賞作詞賞受賞。小説『エロ事師』発表。

1967年には、「火垂るの墓」「アメリカひじき」で直木賞受賞。
また、社会評論も多数執筆するようになり、「焼跡闇市派」を名乗り、その体験から既存の右翼・左翼それぞれを批判していく評論活動を行う。

その後、、1985年「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ」で講談社エッセイ賞受賞、1997年に「同心円」で吉川英治文学賞受賞2002年に「文壇」およびそれに至る文業で泉鏡花文学賞を受賞。

野坂は、生後半年で神戸の張満谷(はりまや)家へ養子に出される。11歳の時、戸籍謄本を偶然に見て、自分が養子であることを知り、後には妹2人も別々に養子として入る。

その後、上の妹を病気で、1945年の神戸大空襲で養父を、下の妹を疎開先の福井県で栄養失調で亡くした。
後に福井県で妹を亡くした経験を贖罪のつもりで「火垂るの墓」を記した。
つまり清太のモデルが彼自身で、節子のモデルは妹ということである。

学歴

新潟大学中退
早稲田大学文学部中退

文学賞

日本レコード大賞作詞賞(1963年)
直木三十五賞(1967年)
講談社エッセイ賞(1985年)
吉川英治文学賞(1997年)
泉鏡花文学賞(2002年)

主要作品

『おもちゃのチャチャチャ』(1963年)
『エロ事師たち』(1963年)
『アメリカひじき』(1967年)
『火垂るの墓』(1967年)

出典

「野坂昭如」『はてなキーワード』、URL:http://d.hatena.ne.jp/keyword/

西宮とのかかわり

神戸で焼け出されたのち、昭和二十年六月八日から福井に移る八月まで西宮満池谷に身をよせていた。

1969年の「グラフ西宮」に『満池谷再訪』という一文に14歳の時神戸で空襲を受けたあと、この地の遠縁に身を寄せていた時のことを綴っている。
千歳町にあった喫茶店「ラ・パボーニ」によく通っていた。

関連のある作品

火垂るの墓
エロ事師たち

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