プロフィール 1889年 5月14日 – 1934年 5月5日
歌人。大阪毎日新聞の経済部記者を経て、実家の酒造業に携わる。
伊藤左千夫に師事。1909年『アララギ』に参加、斎藤茂吉や古泉千樫らと交流を持つ。
1913年島木赤彦との合著歌集『馬鈴薯の花』刊行。『中村憲吉全集』がある。はじめ近代的な官能感覚の調べを示したが、郷里に帰住後、写実的で繊細な歌風を示した。
学歴
東京帝国大学法科大学経済科
主要作品
歌集
馬鈴薯の花
林泉集
中村憲吉選集
しがらみ
松の芽
軽雷集
出典
「中村憲吉」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2009年3月22日 (日) 13:06 UTC、URL:http://ja.wikipedia.org/
西宮とのかかわり
大正九年郷里の広島から来西、記者を辞して帰国するまでの七年間、香櫨園の内澱池(片鉾池)の池畔に住んでいた。年齢的にみて三十代という最も活動し得る時代にあった片鉾池畔の憲吉は、彼が一つの頂点に立ったといわれる第三歌集『しがらみ』を出し、さらに自選歌集『松の芽』を出した。
そして古びた二階家を「片鉾山荘」と名づけて、数々の秀歌を生み出している。(「西宮文学風土記(下)」 南野武衛著より)